入善ジャンボ西瓜

更新日:2021年02月01日

入善ジャンボ西瓜とは?

入善ジャンボ西瓜とカットした入善ジャンボ西瓜の写真

 

重さ約18kgと、日本一大きな西瓜(すいか)として知られる「入善ジャンボ西瓜(にゅうぜんじゃんぼすいか)」(一般的な大玉西瓜は約7~9kg)。黒部川扇状地の恵まれた自然環境と豊富な湧水により育てられ、大きいものでは重さ30kgになります。ラグビーボールのような楕円形が特徴的で、平均的なサイズは、長さ42cm、直径30cmほどです。

上記のとおり極めて大きい果実でありながら、一般の西瓜と比較して味が落ちるということはなく、果肉は鮮やかな赤色でみずみずしく、心地よい甘い香りと、サクサクとした食感、上品な甘さを楽しめます。7月中旬から8月上旬ごろに収穫され、全国へ出荷されます。

さん俵で梱包された入善ジャンボ西瓜の写真

「さん俵」に包まれた入善ジャンボ西瓜

出荷の際には、稲わらの編み物「さん俵」に包まれます。これは重い西瓜が傷つくのを守るためのもので、稲わらを楕円形に編み上げて、西瓜の上下にわら縄で縛りつけるものです。その風情ある姿から、入善町ならではの特産品として古くから夏の風物詩として親しまれ、地域のイベントに使われることも多く、贈答品としても愛されています。

入善ジャンボ西瓜の歴史と伝統

入善ジャンボ西瓜の栽培は明治20年(1887年)頃にさかのぼります。荻生村(現黒部市)の結城半助がアメリカの種苗店から導入した「ラットルスネーク種」が黒部川扇状地の砂質浅耕土地帯に適したため、明治30年(1897年)頃から入善町でも生産が行われるようになりました。

その後明治42年(1909年)に黒部川の清流にちなんで「黒部西瓜」に改称され、大正時代にかけて生産規模が拡大、日本屈指の西瓜産地を形成しました。しかし、昭和に入ると、戦時中の作付転換や大和西瓜等の登場により、黒部西瓜の生産規模は縮小されていきました。

昭和46年(1971年)に「入善町黒部西瓜生産組合」が誕生しました。昭和57年(1982年)には西瓜の名称が「入善ジャンボ西瓜」に改称され、それに合わせて組合名も「入善町ジャンボ西瓜生産組合」となりました。

令和2年(2020年)、作付面積は4.1ha。生産規模は減少傾向にありますが、新規生産者の掘り起こしや後継者の育成、栽培技術の向上に余念がありません。

地理的表示(GI)保護制度の登録

平成29年12月、農林水産省により「入善ジャンボ西瓜」が地理的表示(GI)に登録されました(申請者:みな穂農業協同組合、生産地:入善町)。富山県内では初めての登録となります。

 

地理的表示(GI)保護制度とは?

その地域伝統の生産方法や気候・風土・土壌などの生産地の特性により、高い品質と評価を獲得するに至った産品が多く存在しています。これらの産品のうち、品質、社会的評価などの特性が産地と結びついている産品について、その名称を知的財産として保護する制度が「地理的表示保護制度」です。「GI」はGeographical Indication(地理的表示)の略称です。

令和2年12月時点で105件の登録があり、主な登録産品には、夕張メロンや神戸ビーフなどがあります。

GIに登録されることで、(1)基準を満たす生産者だけが「地理的表示」を名称として使用可能になる、(2)GIマークにより他の商品との差別化が図られる、(3)不正使用が発見された場合に農林水産省が取り締まりを行う、等のメリットがあります。

※地理的表示(GI)保護制度の詳細については、農林水産省webサイトをご覧ください。